在り方
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【海獣のいる海】
こんにちは。久しぶりの投稿です。
「かいじゅう」を漢字にしてと言われたら どのように書きますか? ほとんどの方は「怪獣」と書くと思います。 ですが、 今回は「海獣」のお話。 海獣、ここではトドを指します。 トドは準絶滅危惧種でもあったが、 漁場の魚を食い荒らすので駆除の対象となった。 トドは冬を越すために サハリンから礼文島(北海道)にやってくる。 礼文の海は人と魚とトドが交わる。 揺れる船上から1発で仕留めるトド漁師の俵静夫88歳、 漁師の家に生まれた12人兄弟の長男として生まれた。 12歳で猟に出るようになった。 礼文島厳しい冬にはトドは大切な食料である。 俵静夫は 「人間が魚を食い尽くしてきたから、 トドが沖で魚を食えず 漁場まで来て食う。」 「だから全てのことは人間が悪い」と話す。 仕留めた時に トドに胎児がいると剥製にする それは罪のないものを殺してしまったので 剥製にしているという。 彼がトド漁師として 1発で仕留めるようになったのは、 辛い経験があったからだ。 それは、40年ほど前、 エキノコックスという感染症が礼文島で流行し、 飼ってる犬猫を駆除しなければならない状況だった頃 漁師である俵に犬猫を駆除の依頼があって 依頼主の飼い犬のお腹を撃った。 当然、犬は苦しみもがき、 暴れて家の中に駆け込んでしまい、 飼い主に「漁師なのにどこ撃ってるんだ? 苦しむに決まってるだろ? それくらいわからなんのか?」と激怒された。 以来、動物たちが死ぬまでの苦しみを 与えないようにという思いを根底に持ち、 猟銃の弾は3発しか持たないようにした。 そして、苦しまないよう1発で仕留めるようになった。 TVでトドを殺したという報道がされると、 本人に直接電話がかかってきてたこともあった。 そういう人たちには、 「もし、殺すのをやめたら あなたたちは私たちの面倒を見てくれるのか?」と 心に葛藤を持ちながら伝えている。 俵自身だって何も殺したくて殺してるわけではない。 生きていく上で必要なこと。 だからこそ、 トドに対して 苦しまないようにラクに死なせるよう努めている。 仕留めたトドを解体するシーンがある。 その時も、 無言で腹に刃物を入れ、臓器を取り出していく。 途中、解体しているトドの側で休憩して 海を見ながら一杯飲むシーンがある。 心で何かを語っているようだ。 もちろん、外からのアナウンスは入れていない。 それが何とも言えない。 私には、 お互いがお互いの立場を尊重し、 自分たちが生きていくために犠牲になってくれたこと、 いや、身を捧げてくれてることに 感謝しているようにも見えたし、 仕留めた責任を負うようにも見えた。 彼は、 「死は死で認めるし、病気は病気で認める」と言っていた。 地域の一斉放送で 俵が亡くなったことが役場のスピーカーから流れた。 迫り来る死に抗(あらが)うことなく、 俵は88歳の息を生涯を終えた。 彼は肺がんだった。 最期まで手術も拒み、 モルヒネなどは投与せずに、海に出ていた。 漁師としてのプライドなのか? 海に対する敬意なのかはわからない。 ただ、彼は海で育ち、 海しかなかったのだろう? 「トドのために海のために 自分ができることはする」と話していたという。 彼が仕留めたトドの骨格標本が 北海道大学の研究室に 納められて研究されている。 研究室の教授曰く、 「俵さんからいただいた トドは急所を一発で仕留めているため傷がない。 ほんの数センチずれてるくらいで、 とても綺麗です。 研究に役立ててくれています。」 こうした標本のおかげで、 トドがどうやって礼文まで来ているのか?もわかるらしく、 論文やデータになっている。 番組中にナレーションはほとんど入らない。 入っても、ほんのわずか。 舞台俳優でダンサーの田中泯が ナレーションしている。 映像を邪魔しないナレーションが また映像に引き込まれる。 88年の生涯で75年以上も漁師として生きてきた。 彼にはむしろ、漁師、礼文の海しかないし、 そこでの人生は生きていくために必死でもあり、 幸せだったのかもしれない。 彼は後輩漁師たちからも尊敬されていた。 彼が亡くなった後もトド漁は引き継がれているし、 これからも引き継がれていく。 トドと人間、 それぞれの立場に立っても見方もあるだろうが、 とても観る価値はある番組だった。 https://www.nhk.or.jp/hokkaido/lreport/articles/300/121/23/ 関東では12/12(木)AM0:35~1:25で再放送されます。 是非、観ていただきたい。
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私の言う
『人生の最適化』とは、
あなたが持っていないものを
新たに手にして改善して行くというのではなく、
本来、持っているものを引き出すことです。
ちょうど
引き出しの奥に
しまい込んでいた大切なものが
目に見えなくなってわからなくなってしまった状態から、
しまった場所を思い出してもらって、
また目に届くところに置いてもらい、
いつでも使えるようにするイメージです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
この後もこころの最適化を図って素敵なお時間となりますように。
最適ライフコーチング
寺石義和